うつ病の体験
概要
作成.
うつ病に罹った際の環境と症状を、時期別にまとめた。
自分のなかで「人生でうつ病になるということの意味」を考えている。
また、うつ病患者を支える方が読んでいるのであれば、ぜひ最後の部分を読んで頂きたい。
うつ病初期–発症期の環境と症状
環境の変化
- 大学在学中(独り暮らし)、授業単位はすべて取得
- 研究室配属となり、コアタイム以外の生活に縛りがなくなる
- →生活習慣の乱れ(昼夜逆転、再逆転、食事時間の前後、食事抜かし、etc.)
- 同じ講義を取っていた友人と会わなくなる
- 地元で祖母が亡くなる
- 大学院試験に向けて受験勉強
症状
- 意欲の著しい低下
- 睡眠不順
- 気を紛らわすため YouTube ばかり見る
- 常に不安で、漠然とした焦りが尽きることがない
- 連絡に答えるのが億劫になる
- 罪悪感に苛まれる
- 風呂に入るまでが苦しい
- 風呂桶につからず、シャワーのみ
- 風呂を掃除しなくなる
- 入ってしまえばそれほど苦ではない
- 皿を洗わなくなる
- 食事の直前に洗い、すぐに盛りつける
- 「べき思考」が強まっていく
- こうあるべきだ・こうしなきゃ、という強迫観念
- 裏腹に、そのようになるための行動や生活ができなくなっていく
発症後–治療開始からしばらくの環境と症状
環境
- 大学の相談室に週一回通う
- 担当教員から家族に連絡が行く
- 家族との精神的衝突
- 下宿先から実家暮らしに
- 実家から高速バスで通学し始める
- 実家から近いメンタルクリニックに通院
- 生活習慣は改善
症状
- 大学の研究室まで辿り着けない
- 行こうと思っても体が拒絶し、引き返したり図書館で勉強したりする
- 神経質になる
- 風で飛ぶ落葉にびっくりする
- 消えて無くなりたくなる
- 自殺のために積極的に行動することはできない
- ネガティブな思考を延々と繰り返す(反芻思考)
- 何もかもが嫌になる
- 自己を客観視してしまう
- (うつでない人は殆ど自己に都合のよいバイアスがかかっている)
- 気分の浮き沈みがある
- 数日から数週間周期で調子が良くなったり悪くなったりする
- 長い目で見ると気分は下降している
- 性欲の低減
治療開始から寛解までの環境と症状
環境
- なんとか卒業し、大学院は通わず中退
- 地元の就労支援施設に通う
- 実家暮らしを継続
- メンタルクリニックでカウンセリングも実施
症状
- 時間を無駄にしている焦り
- 発症初期とは異なり、何に対しての焦りなのかは分かる
- 気分の浮き沈みがある
- 数日から数週間周期で調子が良くなったり悪くなったりする
- 長い目で見ると気分は徐々に上昇しているが、その時は自覚なし
- カウンセラーの方に指摘されて改善に気付く
- 発症からの症状の解消
- 連絡・入浴・皿洗いなどが苦しくなくなってくる
- 神経質や希死念慮の消失
- 反芻思考の減少
- 自己バイアスも戻る
- 性欲の回復
寛解から再発防止期の環境と症状
環境
- 就職(パートタイム、のち正社員)
- 実家暮らしを継続させてもらう
症状
- 殆ど発症前まで回復
- 服薬は継続中
- 意欲は発症前まで戻らない
- 経過した年月相当の意欲の下落なのか、それ以上の下落かは不明
うつという病の総括
医学的に見て、うつ病はストレスの病だとか、遺伝だとか、栄養状態とかカビ菌の吸引とか、様々な面からその原因が研究されている。
もちろんこれら研究の発見する事実が将来のうつ病発症率を低下させ、同様の苦しみを味わう人は減るのかもしれない。
また私は「全ての事に理由がある」とは到底考えておらず、かといって皆に同意してほしいとも思わない。
しかし自分にとってのうつ病とは、
「誰かの理想を諦めることを知ること」「やりたくもないことにやりたい顔をしないこと」
だったと今では総括している。
どういうことかというと、私のエゴや人生の成功からすれば無用の長物たるうつ病という病がなければ、私の人生は純粋培養、親の生き直し、親の第二の人生、などから逸脱する機会が(今後暫くは)なかったかもしれないのだ。
幼い頃から親や先生の言う事をよく守り、自分が心から欲しいと思えるもの以外はよく他人に譲るような人間だった(おもちゃ、給食の余り、好きな人などを譲った)。
この世には「物事の正しいやり方」が存在し、大人はそれらを知悉しており、私はそれに従えばよいのだと漠然と考えていた。
そんな人種であっても、自分の人生は親が決めた(或いは当人は「勧めただけ」と言うかもしれない)学校・就職先・結婚相手・ etc.に、つまり他人が決めた生き方に、合意しなくてもいいと(かなり厳しいやり方で)導いたのがうつ病だと思うのだ。
うつの初期に表れた「べき思考」は、今思えばこれまで生きてきた中で身に着けた「物事の正しいやり方」であった。
連絡ができないということは、連絡してくる人への拒絶の方法を私に教えるものであった。
私を研究室から遠ざけたのは、自分が心からやりたくないならやらないことを選べ、と言ってきたうつ病の声だった(それに反して私はその研究室から卒業するまでしがみついたのだが)。
おそらく多くの人は、子供の頃にきょうだいとおもちゃで喧嘩したり、反抗期で親に暴言を吐いたり、周りの反対を押し切って就職先を選んだりしてきて、徐々に「自分の人生を生きる」方法を知るのだろう。
私にはこのどれも殆どがなかったから、そのツケを払うようにうつ病になった。
うつ病になり、自分自身の人生を生きられるようにしたのだ(私の深層が?神が?)。
うつ病になった人を支える方へ
ここまで読んだ方の中で、うつ病のご家族などをサポートしている方にも伝えたいことがある。
一つはうつ病という病に対しての向き合い方で、もう一つはうつ病であるかないかに関わらず、うつ病にかかったその人自身との向き合い方である。
まずはうつ病に対して、どうか急がずに見守って欲しい。
本人を急がせればより早く治るのならば、誰も苦労することはない。
しかし出来ることはあると考えている。例えば(多少無理にでも)外出に誘うこと。
動物園、水族館、温泉、もみじ狩り、難しければ近所の散歩など、外に出て日光を浴び、普通に会話をする。
この時うつの病状を聞き出したりはしてはいけない。
症状なら私が上に書いているし、そんなに気になるなら通院先に電話すればいい
(精神科は非常に忙しいから控えて欲しくもあるが)。
また生活は規則正しく送らせるべきだ。食事の時間はなるべく揃え(出来れば夕食は早めて早寝を促す)、風呂も入るように言う。
うつ病を急かさなければ、生活は多少急かしても問題ないと思う。もし生活に文句を付けるようであれば、いつでも出て行って他所で暮らしてもらっても構わないと伝えていい。
うつ病の本人は、そんな面倒臭いことは一人では出来ないからである(気を付けるとすれば失踪のケースだが)。
精神改善のページに病状改善のために出来ることを集めているので参考になるかもしれない。
さて、もう一つはうつ病ではなくその本人とそれを支えるあなたの関係である。
私のうつ病の総括で察せられるかもしれないが、もしうつ病にかかった方がその人自身の人生を生きることへの妨げに、あなた自身がなったり、身の周りの方がなっているのであれば、うつが治ったらどうか自由にしてあげてほしい。
もちろん本人から助けを求められたのであれば別だが、それでも一回は「あなた自身はどうしたいのか」と聞くべきだ。
とはいえ、「あなたはどうしたいのか」というのはうつ病の最中では聞かれたくない質問なので難しいところではあるが。
もしあなたが本人の妨げになっているか定かではない場合は、可能なら悲観的に見積もって、周りの人に聞いてみてほしい。相手はあなたと本人を良く知る、本人寄りの人が良い(母–子関係で子がうつなら、子のきょうだいや友達など)。
あなた寄りの人に聞いても、「君は頑張って世話してるよ」と言われるだけだろう。
いい相談相手が居ないなら、厳しい返事は覚悟して本人に聞くのもアリだろう。
面倒を見ながらだと苦しい事かもしれないが、ここで厳しい返事があるということは、あなたと本人との相互依存関係が解消に向かう可能性があるということでもあると思って欲しい。